歴史・史跡
フクイには、曹洞宗大本山永平寺をはじめ、一乗谷朝倉氏遺跡など、数多くの歴史ある場所・史跡が数多く残されています。
これらの場所を訪れ、フクイの歴史を肌で感じてみませんか?

フクイには、曹洞宗大本山永平寺をはじめ、一乗谷朝倉氏遺跡など、数多くの歴史ある場所・史跡が数多く残されています。
これらの場所を訪れ、フクイの歴史を肌で感じてみませんか?
曹洞宗・大本山永平寺は、今から約760年前・鎌倉時代に道元禅師によって創建された古刹です。室町時代の初めには、”曹洞宗第一道場”の勅額を贈られ、禅修行の最高峰として歴史を刻んできました。
全長90mの5世紀後半の前方後円墳で、二本松山丘陵の最高峰の273mにあります。 後円部には2つの石棺があり、江戸から明治時代に掘られました。 この古墳から出土した品々は、全国でも貴重な遺物として知られています。
幕末の歌人、国学者であった「橘曙覧」37歳の時、足羽山の黄金舎(こがねのや)から三ツ橋(照手2丁目)に居を移し、これを藁屋と称しました。
坂井市丸岡地区上久米田の六呂瀬山山頂に所在する4基からなる古墳群で、1号墳は全長約140メートル、北陸最大級の前方後円墳です。
蓮如上人が北陸一帯の布教の拠点とした所で、通称御山と呼ばれ国の史跡に指定されている。
かつての福井城本丸(現在の福井城址)から北方約400mに位置し、当時の外濠に面した要地にある旧福井藩主・松平家の別邸です。
幕末に外国船渡来の急を告げた時、丸岡藩が自領内のこの地に築いた砲台跡があります。
天守閣石垣のそばに「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」の書簡碑が建てられている。 この手紙文は、徳川家譜代第一の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門が、陣中から家族あてに書き送ったものである。
天正4年(1576年)、柴田勝家の甥勝豊が築城した平山城で、現存する天守閣の中では日本最古のものである。
乃木山古墳は、古墳時代の初期、3世紀半ばの古墳です。3箇所の埋葬施設が発見され、全国でも稀な素環頭鉄剣、木製枕が出土しました。
手繰ヶ城山古墳は、昭和52年に国指定史蹟になった、全長129mの前方後円墳で、北陸第2位の規模の古墳です。
6世紀末の古墳で約20mの円墳です。昭和28年に偶然発見されました。横口式石室をもち石室の中には横口式の舟形石棺が安置されています。鉄刀や馬具、須恵器、ガラス玉などが出土しました。
東郷城の城跡は槙山にあります。江戸期の文書では城名を『東郷城』記述されている一方で明治期以降から今では『槙山城』と呼ばれ親しまれています。元中5年 (1388)に越前黒丸城の4代城主朝倉下野守貞景の弟、東郷下野守正景が一条家の荘園東郷荘を預けられ居城としたと伝えられています。
建暦二年(1212年)に創建された浄土真宗本願寺派として格式を持つ寺院です。
商売繁盛の神様として有名な竹原弁財天白龍王大権現。 県内はもとより県外からもたくさんの参拝客が訪れます。運が良いと岩の割れ目から御神体の白蛇を見ることができます。
鎌倉・南北朝時代の名将・新田義貞とその一族を祀る、藤島神社。義貞が着用していたと言われる兜「鉄製銀像嵌冑(ぎんぞうがんちゅう)」や、義貞と共に戦った結城宗広の書状が社宝として保存されていて、国の重要文化財に指定されています。
大同年間(806~10)に高僧・最澄が聞いたと伝えられる古刹・光照寺の境内に、福井大空襲と福井大地震で犠牲になった人たちの霊を慰めるため昭和31年に建立された大仏観音です。
徳川家康の二男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城した福井城の城址。 現在では、石垣と堀の一部だけが残されています。また、福井の名の起こりとなったという「福の井」と呼ばれる井戸跡が天守台下にあります。
福井県庁正面御本丸緑地にある(愛称)福井城内堀公園。
「物書て 扇引さく 余波哉」 これは、松尾芭蕉が天竜寺に立ち寄ったときに作った贈答句で、この芭蕉塚は天保申辰(1844年)初冬に、同好の人たちによって建てられました。
南朝の忠臣新田義貞公は延元3年(1338年)足利高経の軍と交戦中灯明寺畷(福井市)にて38才の壮齢で戦死した。 称念寺の白道上人はその遺体を引き取り称念寺の境内に葬った
千葉県にある「成田山新勝寺」の福井別院。 別名を「九頭龍寺」ともいいます。
坂井市内を流れる田島川に架かる橋。 住戸は幅2間、長さ8間の木橋で、北岸に太さ数メートルのエノキの大木があって、旅人が休む一里塚として親しまれた。
南北朝時代の武将 新田義貞 終焉の地。 江戸時代に義貞のものと思われる冑が水田から発見され、当時の藩主・松平光通が義貞の威光を称え石碑を建立しました。
親鸞聖人の伝説が残る黄楊。
越前・能登・加賀を制した、一向一揆の拠点寺・超勝寺。 北陸で一向一揆が続発していた戦国時代の末頃、本願寺勢力の拠点として、その名を遠く都にまでとどろかせていました。
寛弘8年(1011年)に恵心僧都(えしんそうづ)が開いたとされ、地元の人々の厚い信仰を受けている由緒正しい寺。 17年に一度しか開帳されない秘仏十一面観音菩薩像を所蔵している。
大安禅寺は、1658年、旧福井藩松平家の菩提所として第四代福井藩主の松平光通公が創建。 現在、「花菖蒲の寺」としても知られており、6月には「花しょうぶ祭」、春季・秋季には寺宝展も開催。
大安寺観音堂は、天梁院(福井藩第14代藩主斉承(なりつぐ))の霊屋として天保7年(1836)に運正寺に建てられました。
瀧谷寺は1375年に創建された坂井市三国地区で最古の寺院です。 国宝や重要文化財も多く、また山水庭園は、いつまで見ていても飽きない美しさです。
越の大徳”と呼ばれ、日本三名山の1つ「白山」を開山した高僧・泰澄を祀る古刹。
江戸時代初期に建てられた県内最古の民家。 正面が入母屋造り、背面が寄棟造りの茅葺屋根で、外回りは杉皮張りの壁に障子の白が清楚な美しさをみせている。
毎年5月5日に行われるじじぐれ祭の行われる神社。 じじぐれ祭は、860年前の伝統を誇り、福井県指定無形文化財に指定されている伝統行事です。
鎌倉時代の「聖徳太子立像」や美術工芸品「太刀国宗」など、多くの県指定文化財を有する由緒ある寺院です。 聖徳寺は真宗高田派の寺院で、土屋宗遠の孫義則が顕智に帰依して出家し、西妙と改めて建てた寺です。
平成8年春、古墳を保存しながら、古代を目で見て体験学習できる出世山古墳公園が完成しました。4基の出世山古墳群のほか、西谷住居遺跡や姥ヶ谷古墳が復元され、三国の発掘の成果が取り込まれています。
福井駅前の北の庄通りにある、柴田神社。 ここは、今から400年程前、当時天下の名城といわれた安土城の天守閣でさえ7層であった時代に、9層にものぼる文字どおり日本最大級の城・北の庄城が築かれたところです。
北の庄城主、柴田勝家の菩提寺です。 境内には勝家、その妻「お市の方」をはじめ一族の墓があり、また、寺宝に馬印・念持仏・刀など勝家の遺品などがあります。
旧森田銀行本店は三国港の豪商森田家が明治27年に創業した森田銀行の新本店として、大正9年に建設された。 外観は西欧の古典主義的なデザイン、内観は豪華な漆喰模様が美しい。 県内に現存する鉄筋コンクリート造の最古のものである。
寛元元年(1243年)京都から入越した道元禅師が、曹洞宗大本山永平寺を開く前に修行していたお寺です。
江戸時代後期、芝原用水の水車を利用した、鉄砲、大砲の火薬製造所跡。
鎌倉時代の建造物で、県指定の文化財となっています。 茅蟇き・単層四柱造りで、特徴は面取りの大きい角柱二本の他は円柱を使用し、隅柱は素朴な唐草文様のある肘木もつけられています。
白く大きな鳥居を構えた神社で、うっそうと生い茂る木立の中にひっそりとたたずむ。 平安時代中期、奈良の春日神社を勧請。
松平昌勝・昌平2代の藩政時代の館跡に残された、昌勝公が愛観した椿の木で、松岡藩のなごりを残す唯一の遺産として、大切に保存されています。
福井市の西南にある「おさごえ民家園」は、福井市に生きた先人たちの暮らしを垣間見ることのできる古民家園です。 県内を代表する、18世紀前後に建てられた豪農や庄屋などの古民家5棟及び板倉のほか、土蔵や灰小屋、厩などがそのまま移築・復原されています。
松岡藩は、正保二年に創設され、享保六年に廃藩となりました。 この間六十数年にわたり、一年おきに江戸へ参府する参勤交代がおこなわれました。 ここは留守を預かる藩士、町人たちが送迎した旧街道の名残の地です。
平安時代に建立された神仏混淆の寺、神宮寺にあった蛇川と呼ばれる池の跡とされる。 かつて蓮の花で一面が埋めつくされ、「竜が潜んでいる」と人々から恐れられていたと伝わる。
一乗谷には総数3,000体と言われる石塔や石仏が谷のあちこちに点在しています。 特にかつての寺院、例えば「西山光照寺跡」や「盛源寺」などにまとまって存在しています。
朝倉氏が栄えた時代の一乗谷の町並を再現しています。 武家屋敷をはじめ、商家や町屋群が再現されています。 当時の人々の暮らしぶりがよくわかります。
一乗谷川が足羽川に注ぐところの谷あいにあって、上城戸(カミキド)と下城戸(シモキド)にはさまれた城戸ノ内町と呼ばれるところに位置する一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代には越前の国の拠点として繁栄していました。
坂井市春江町井向の白山神社には県の文化財に指定されている板碑があります。 高さ170センチメートルで、鎌倉時代中期の年号(文永11年)が刻まれ、年代のはっきりした石造物としては県内最古といわれています。
愛宕坂は、天正4年柴田勝家によって一乗谷から移された愛宕大権現の別当寺院(愛宕山遊楽寺松玄院)及び足羽神社の参道として江戸時代に開かれました。
えちぜん鉄道西長田駅から集落へ入る三叉路のお堂に祀られている地蔵で、お堂の近くの田んぼから発見されたといわれています。 村に災難があると予見されるときには、油のような汗をかくといわれ、昭和23年の福井地震の前日ににもひどい汗をかいていたと伝えられています。
継体天皇を主神とする古社です。 鎌倉時代以降、武家の崇敬厚く、戦国時代には朝倉氏から社領の寄進をうけ、また江戸時代には福井藩主松平家から厚く崇拝されていました。