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平成19年11月18日(日)に実施しました「フクイ小さな発見の旅」の模様を紹介します。
一乗谷朝倉氏遺跡は、約500余年前の文明3年(1471年)に朝倉孝景が一乗谷に居城を移してから5代103年間にわたって越前の国を支配した城下町の跡。当時、全国3番目の人口を有するほどにぎわった城下町でしたが、天正元年(1573年)、織田信長の軍勢により焼き払われてからは、のどかな農村となり、二度と歴史の表舞台に出ることはありませんでした。
そのことが幸し、昭和42年から始まった遺跡の調査では、発掘が進むに従い、武家屋敷・町屋・寺院、そしてそれらを結ぶ道路にいたるまで、往時のままの姿で現れてきました。
発掘調査の結果、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国特別史跡指定に、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205uが国特別名勝に、そして今年6月には発掘された出土品2,434点が国重要文化財に指定され、全国でも稀な三重の指定を受けています。
今回は、今までのツアーと趣向を変え、観光に「俳句」という文化的な要素を盛込んでツアーを実施しました。
当日はあいにくの雨模様となりましたが、参加者の方々は一乗谷朝倉氏遺跡を歩きながら、戦国の世に思いを巡らせ、楽しく俳句を詠まれていました。 |
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まず最初は、「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」で一乗谷の歴史と遺跡について説明を受けました。
資料館には、一乗谷朝倉氏遺跡の発掘調査により発掘された160万点を超える遺物を中心に、模型や文書資料による説明を合わせて、朝倉氏とその城下町、そして、そこに生活していた人々の様子を、分かりやすく展示しています。
参加者の皆さんは、一乗谷に暮らした朝倉氏や庶民の生活ぶりについて、熱心に聞いていました。 |

まずは資料館で、一乗谷の歴史や
庶民の生活ぶりなどを学びます
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数々の貴重な展示物について説明を受けました |
一乗谷朝倉氏遺跡の概要を把握した後、参加者は一乗谷朝倉氏遺跡の入り口にある、天台宗真盛派の寺院「西山光照寺跡」から遺跡の散策を始めました。
一乗谷最大の寺院であったといわれ、発掘調査により発掘された40体程の石仏を中心に多数の石仏石塔が、寺跡に保存展示されています。
また、近くには朝倉氏3代に仕えた朝倉宗滴屋敷跡と伝わる金吾谷屋敷跡があります。 |

説明を聞きながら、かつてここにあった寺院の
隆盛ぶりに思いを馳せます |

寺跡には、人の背丈ほどもある石仏が
静かにたたずんでいます |
西山光照寺跡から南へ進むと程なく、一乗谷川が足羽川と合流する谷あいに「下城戸」があります。
下城戸とは、一乗谷の北側の谷が最も狭まるところに土塁が築かれ、城門とされたところ。土塁西側の山すそには巨石を組み合わせた通路があり、城下町への出入り口となっていました。今でもここを通る人たちを、巨石が門番のように静かににらみつけている様です。
ちなみに、ここから約2km先の一乗谷南側には上城戸の土塁が残っています。 |

土塁の横には、掘割も残っています
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巨石の大きさが、この場所の重要性と
朝倉氏の権力ぶりを物語っています |
一乗谷の中央にあるのが、唐門をはじめとした朝倉氏の「館跡」と「復原町並」。
文明3年(1471年)朝倉孝景が一乗谷に拠点に、約100年間にわたって越前の国を支配しました。館跡は、朝倉氏5代目義景の居館跡です。
館跡に隣接して広がる庭園跡は、いずれも国特別名勝の指定を受けています。
発掘調査により検出された町を南北約200mの道路を中心に、地下に残されていた堀の石垣や建物礎石を用い、出土資料に基づいて原寸大で再現しているのが、「復原町並」。町並を歩くと、戦国時代にタイムスリップしたような雰囲気が漂っています。
復原町並では、朝倉氏遺跡保存協会のガイドが、往時の武士や町人たちの生活ぶりやなどを分かりやすく教えてくれました。 |
 この通りは商店が並んでいて、建物内をのぞくと それぞれ商売をうかがい知ることができます
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 武家屋敷跡には立派な門塀があり 町人街とは違う風情があります |

一乗谷が焼き払われた後に再建された
「館跡」の入り口にたたずむ「唐門」
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 館建物の礎石と庭園跡が広がる「館跡」 |
一乗谷での散策を終え、午後は福井市美山地区にある「みらくる亭」に会場を移しました。
昼食の後、参加者の方々が詠まれた俳句について、福井県俳句作家協会の吉田会長より一句ずつ講評していただきました。
皆さん、真剣な面持ちで講評に聴き入っていました。 |
 参加者皆さんの俳句を一句ずつ講評しました
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講師の方からは、それぞれの句のいいところや ポイントなど丁寧な説明がありました
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