丸岡城築城前、この辺りの拠点は丸岡城より東方約4kmのところにあった「豊原寺」でした。
一向宗の拠点であった豊原寺は、三千坊ともいわれる宿坊が立ち並ぶ大きな門前を有していました。
1573年、織田信長が当時越前を治めていた戦国武将「朝倉義景」を討ち、都があった一乗谷を焼き払った後、豊原寺をはじめとしたこの辺りの一向宗は勢力を増しましたが、1575年、再度織田信長が「越前平定」のため越前に攻め入り、豊原寺などの一向宗の拠点を焼き尽くしました。
その後、柴田勝家の甥「柴田勝豊」がその豊原の地に居を構えましたが、翌1576年「まるこの岡」と呼ばれていた現在の丸岡城の場所に城を移しました。
江戸・明治・大正と丸岡のシンボルとしてそびえていた丸岡城は、昭和9年には国宝の指定を受けました。
しかし、昭和23年の福井大震災により天守閣が倒壊してしまい、現在の丸岡城は、当時の建材等を使って昭和30年に再建されたものです。 |