あそびーのマガジン vol.66

〜フクイの名城めぐり〜

丸岡城下町探訪

写真:桜の名所としても知られている「丸岡城」

フクイには、城に関係する場所がいくつもありますが、天守閣が現存しているのはこの丸岡城のみ。
しかも、築城は戦国時代の1576年で、天守閣は国重要文化財の指定を受けています。
今でも丸岡の町を巡ってみると、いたる所に城下町であったことをしのばせる場所や逸話が残っています。
今月は、日本最古の天守閣が残る丸岡の町を散策してみましょう。

城主17代、300年の城下町へ

今回紹介のエリアMAPを表示


丸岡城の歴史

丸岡城築城前、この辺りの拠点は丸岡城より東方約4kmのところにあった「豊原寺」でした。
一向宗の拠点であった豊原寺は、三千坊ともいわれる宿坊が立ち並ぶ大きな門前を有していました。
1573年、織田信長が当時越前を治めていた戦国武将「朝倉義景」を討ち、都があった一乗谷を焼き払った後、豊原寺をはじめとしたこの辺りの一向宗は勢力を増しましたが、1575年、再度織田信長が「越前平定」のため越前に攻め入り、豊原寺などの一向宗の拠点を焼き尽くしました。


その後、柴田勝家の甥「柴田勝豊」がその豊原の地に居を構えましたが、翌1576年「まるこの岡」と呼ばれていた現在の丸岡城の場所に城を移しました。


江戸・明治・大正と丸岡のシンボルとしてそびえていた丸岡城は、昭和9年には国宝の指定を受けました。
しかし、昭和23年の福井大震災により天守閣が倒壊してしまい、現在の丸岡城は、当時の建材等を使って昭和30年に再建されたものです。

豊原寺跡の地蔵 豊原寺歴代院主の墓 丸岡城天守閣

人気のない林道横に佇む豊原寺跡の地蔵

杉林の中にひっそりとある豊原寺歴代院主の墓

住宅街を見下ろしてそびえる丸岡城天守閣


丸岡城の天守

今も小高い丘の上の、石垣の上にそびえる丸岡城。
外観は二階建てに見えますが、内部は三階建て(二層三階)となっていて、城内へは急な石段を登って入ります。

一階の壁には、「石落とし」や「狭間(さま)」を見ることができます。
石落としは、ベランダのように天守から張り出していて、天守の石垣を登ってくる真下の敵に石を落としたり、弓や鉄砲を撃ったところ。
狭間は、天守の壁面に空いている小さな穴や小窓のことで、石落とし同様、ここから石を投げたり、弓や鉄砲を撃つことができました。狭間は、様々な形・大きさで、他の階でも見ることができます。
江戸時代につくられた城は、城主の権威を示すため、大きく立派で多層式のものが目立ちますが、丸岡城内は戦国時代の雰囲気。豪華さ優美さより、いたる所にある敵に対する備えの方が目を引きます。

ベランダ状の石落とし 狭間 階段

一階部にあるベランダ状の石落とし

狭間は天守内の様々なところにいろんな形・大きさであります

二階部へと上る急な階段は登り綱をしっかりつかんで慎重に

一階から二階、二階から三階へは、急な階段を登り綱の助けをかりながら上がります。
最上階三階の望楼は、ふもとから約35mの高さ。
天気が良ければ四方の窓が開け放たれ、当時の城主が眺めたものと同様の丸岡の町並み、坂井平野の田園風景、かつて豊原寺があった山並みを、さえぎるものなく見渡せます。
吹きぬける風が気持ちいい望楼から、城主になった気分で城下を眺めてみてはいかがですか。

坂井平野 東方 板の間

望楼からは丸岡の町、坂井平野、遠くは三国まで見渡せます

東方にはかつてこの地の拠点豊原寺があった山を望めます

かつての城主はこの板の間に座り、何を考えたのでしょうか


入城料は、大人300円、小中学生150円。開城時間は、8:30〜17:00。
宝探し観光イベント「夏のワクワク冒険日記」参加者へは、入城料割引の特典あり。


丸岡城主と日本一短い手紙

丸岡城主は、初代柴田勝豊からはじまり、その後明治維新まで17代続きます。
江戸時代に入り、福井藩から丸岡藩が分藩されると、「本多成重」が初代丸岡藩主(丸岡城主としては6代目)となり、以後本多家が4代83年間、有馬家が8代174年間、藩主(城主)を務めました。


「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」

この手紙は、徳川家康の忠臣「本多作左衛門重次」が、長篠の合戦(1575年)の折、陣中から妻に宛てて送ったもの。短い文章の中に大事なことが簡潔明瞭に言い尽くされています。
この「お仙」とは、後の初代丸岡藩主になる本多成重(幼名:仙千代)のことです。

 

一筆啓上の碑 入賞作品 本丸跡周辺

丸岡城の登城口横に建てられている一筆啓上の碑

駐車場からは入賞した作品を読みながら城まで歩けます

しだれ桜がある本丸跡周辺にも入賞作品が並んでいます

坂井市(旧丸岡町)では、この日本一短い手紙を題材に全国から手紙を募り、平成5年から「一筆啓上賞」(平成15年からは新一筆啓上賞)を設け、町づくり事業に取組んでいます。
これまでに応募された手紙は約100万通。それらの手紙は本や映画にもなっています。
今年の募集テーマは、「日本一短い『未来』への手紙」。
自分や家族・友達・恋人に、未来に関する手紙を書かれてみてはいかがですか。
応募方法など、詳しくは(財)丸岡町文化振興事業団へ。


丸岡城周辺の散策路には入賞した手紙が掲示されています。


純米吟醸酒「一筆啓上」(久保田酒造)

丸岡藩の奨励により、1753年からこの地で酒造りを行っている蔵元。
昨年、前述の「日本一短い手紙『一筆啓上』入賞作品」をラベルに取り入れた純米吟醸「一筆啓上」を造り、上々の人気を得ています。


また、12月からの新酒の搾りの時期だけ造られる「鬼作左」(おにさくざ)もオススメ。
地元の水、地元の酒米(蔵の横で作られた山田錦)、地元の人の手によって造られています。
通常の搾りのものと、袋吊り搾りのものとの2種があり、搾りの違いを呑み比べてみてはいかがでしょうか。
「鬼作左」とは、日本一短い手紙を書いた「本多作左衛門重次」のこと。勇猛で頑固者でしたが、己を捨て主君家康のために尽くした作左衛門のことを、領民は親しみを込めてこう呼んだそうです。

黒塀 一筆啓上ラベル パネル

長く続く黒塀が酒造りの歴史を感じさせます

人気銘柄の「一筆啓上」にはラベルが8種あります

蔵には、昔の酒造りを紹介するパネルや道具も展示されています

酒蔵見学もできます(8:00〜17:00、不定休)。詳しくは、こちらから
宝探し観光イベント「夏のワクワク冒険日記」参加者へは、試飲サービス、お買い上げ代金割引の特典あり。


丸岡城にまつわる逸話
「お静の涙雨」


初代城主柴田勝豊が丸岡城築城の際、天守閣の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになりました。
子をかかえて苦しい生活をしていた「お静」は、子を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱となりました。
その後、丸岡城が無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。
その後、田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。
今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)は、天候に恵まれることが少なく、雨が降るたびにこの話を耳にします。

慰霊碑
お静の霊をなぐさめる慰霊碑
「霞ヶ城」

丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。
しかし、その度に、天守閣横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。
このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。
現在は大蛇が噴き出す霞を見ることはできませんが、春、丸岡城を取り囲んでいる桜の花々の淡いピンクが霞のように見え、その中に丸岡城が浮かんでいるような幻想的な景色を作り出してくれます。

野面積みの石垣 桜

不規則な石組みで高度な技術が必要な野面積みの石垣

桜が咲くと城に霞がかかったように見えます


丸岡城下町を散策

丸岡城のふもと(「一筆啓上茶屋」の南側)には、歴史民俗資料館があります。
丸岡の古地図や丸岡城下の模型など、城下町散策の参考になる資料をはじめ、甲冑や刀剣の展示もあります。(入館料は丸岡城入城料に含まれています)

城下町の概要 本多家の駕篭(かご) ライトアップされた春の丸岡城

資料館には散策前に立寄り、城下町の概要を把握しよう

本多家の駕篭(かご)など、多数の貴重な品々が展示されています

ライトアップされた春の丸岡城

丸岡城や歴史民俗資料館の周辺は、日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」として整備されていて、歴史的・文化的資源を有効に活用している公園として、「日本の歴史公園百選」に選ばれています。
丸岡城天守閣を取り囲むようにソメイヨシノが植えられているこの公園は、「日本さくら名所100選」にも選ばれていて、桜が満開の頃は、桜が作り出す霞の中に丸岡城が浮かんでいる幻想的な風景や、夜間ライトアップされた丸岡城や桜を楽しむことができます。
これからの時期は、紅葉などの落葉広葉樹が鮮やかな色をつけ、城下町散策に彩りを添えてくれることでしょう。


丸岡城を取り囲んでいた内堀は明治期に埋め立てられ、今は道路となっていますが、外堀は用排水路となって、昔と同じところを静かに流れています。
特に丸岡城の南側、覧友橋から神明橋・城のまち会館辺りまでは、現在田島川として流れる外堀跡に添いながら歩くことができます。
神明橋のたもとにある「タブの木」の古木は、国神神社の神木であり、今も昔と変わらず大きな枝葉を茂らせています。

紅葉の時期 田島川 タブの木

紅葉の時期の散策も落ち着きがあり、オススメです

今は田島川として流れる外堀跡

昔から変わらない国神神社前のタブの木がある風景

神明橋北の「淨覺寺(じょうかくじ)」には、家老有馬天然の屋敷跡が残っています。
近江八景を模したといわれる庭園の花木の間からは、丸岡城天守閣が頭をのぞかせています。


城南側の丸岡市街には、今なお多くの神社仏閣が残っています。
その中の一つ「本光院」は、丸岡藩主本多家の菩提寺。境内の左手奥には、4基の大きな五輪塔が静かに立ち並んでいます。
これは、作左衛門重次から3代藩主重昭までのもの。お家騒動で改易(取り潰し)を受けた4代藩主重益の墓はここにはありません。


有馬家の菩提寺は、丸岡高校近くの「高岳寺」。こちらにも歴代藩主をまつる五輪塔が静かにたたずんでいます。

屋敷跡の庭園 五輪塔 有馬家菩提寺高岳寺

小さいながらも風情ある屋敷跡の庭園

今も大きな存在感を感じる本多家菩提寺本光院の五輪塔

有馬家菩提寺高岳寺は、丸岡市街から少し離れたところにあります


その他の見どころ「丸岡藩砲台跡」

欧米列強が鎖国下の日本に来航し、開国を迫っていた頃、江戸幕府から全国諸藩に海岸を警備するよう命があり、1852年丸岡藩が建設したのが坂井市三国町梶に残るこの砲台跡。
弓状に築かれた土塁には5ヶ所の砲眼といわれる大砲を備える窪みが設けられています。
幾分草むしてはいるものの、当時の形をよくとどめていることは全国的にみても大変稀であり、国の指定史跡になっています。

目の前には大きな日本海が広がり、左手には越前松島、右手には浜地・波松から加賀へと続く海岸線を望める、絶好の景勝地です。

砲眼 景勝地越前松島の岩礁 見張

海岸沿いにひっそりと佇む土塁には、砲眼という窪みが5つあります

左手を望むと、景勝地越前松島の岩礁が見えます

今はかつてのような緊迫感はなく、波穏やかな豊饒の日本海が広がっています

INFORMATION

≪「日本100名城」選定記念スタンプラリー≫

昨年、「日本100名城」が選定され、フクイでは「丸岡城」「一乗谷城」が選ばれました。
選定を行った(財)日本城郭協会では、それを記念して「スタンプラリー」を実施しています。
スタンプ帳は、全国版の「100城」掲載のものと、北陸・東海地区の「16城」掲載のものがあり、いずれも無料です。
詳しくは、丸岡城:一筆啓上茶屋、一乗谷城:復原町並入り口のスタッフにお聞きください。
これを機会に、日本各地の名城を回られてはいかがですか。


一乗谷城については、こちらから


その他、福井城・北の庄城については、こちらから

薄墨桜
朝倉氏館跡前の
唐門と薄墨桜 北の庄城
石垣などがきれいに
残されている北の庄城址

≪宝探し観光イベント「夏のワクワク冒険日記」≫
9月17日(月)まで、福井市・あわら市・坂井市・永平寺町を舞台に、宝探し観光イベント「夏のワクワク冒険日記」を実施中。
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